京都------ゆかりの地を訪ねて

この記事は以前ブログに掲載したものをまとめたものです(2017年5月記)

2009年3月、そろそろ桜が咲き始めたものの、まだコート無しでは寒い春の日、信時潔ゆかりの地を歩いてみました。

信時潔が京都に住みはじめたのは、1892年(明治25)。4歳の時で、当時の名前は吉岡潔。父・吉岡弘毅は、京都・室町教会の牧師でした。

バスを降りたのは、京都御所の近くでした。
外苑の大きな木は樹齢何年だろうか、潔の一家もこの木を見ていたのだろうか、などと思いました。

京都御所の南側、通りをはさんだ向いに「装束」「烏帽子」などとかかれた看板の店があって、歴史を感じました。これは間違いなく明治時代からずっとそこにあったお店でしょう。ひょっとして平安時代から・・・かもしれませんが。


こちらはgoogleのストリートビューで、予習していった景色と同じでした。コイン駐車場の看板の後ろに室町教会が見えます。

室町通りに面した室町教会。父・吉岡弘毅が着任していた教会です。

地図上では知っていましたが、実際に歩いてみて、明治時代、京都御所にこんなに近いところに、キリスト教会ができたというのは、いったいどういうことなのだろう、と気になりました。

皇居の前とか、靖国神社の前とか、あるいは本願寺の前とかに、教会堂ができる・・・と考えたらどうでしょう。そして、それが明治20年代だったら。教会ができるときはそういうもの、とか、京都というのはそういうところ、と割り切れることなのでしょうか。

 現在の牧師様、その前の牧師様とはお電話などでお話を伺ったことがあります。建物は変わりましたし、若い牧師様が当時のことをご存知のはずもないのですが、それでも、『室町教会史』を送ってくださったり、わかる範囲でお答えいただいたり、親切にしていただきました。突然お訪ねしても申し訳ないので今回はそっと外観の写真だけ撮らせて頂きました。
 ちなみに、写真左側の木の根元には「区民の誇りの木 ヒマラヤスギ」の表示がありました。



吉岡一家が住んでいたところは、「京都市上京区衣棚通下立売上ル常泉院町七番戸」という記録があります。

衣棚通を歩いてみたところ、左の看板を見つけました。
それにしても、昔の住居表示が残っていて助かりました。何丁目何番地何号、などという味気ない住所に変わってしまっていると町を歩いただけでは簡単にはみつからないのです。

この近くには、警察や、府庁などの建物が今でも多いようです。

ちょうどこの日、府庁の中庭で枝垂れ桜の公開が始まったところでした。

潔は1894年(明治27)に、京都市立滋野尋常小学校に入学、三年後に大阪に引っ越して転校しています。滋野尋常小学校は、戦後「滋野中学校」となったようです。インターネットで調べたところ「滋野中学校は平成14年4月に上京中学校と京都柳池中学校へ分割統合されました。」とありました。滋野中学校の建物はそのまま残り、「京都まなびの街・生き方探求館」として、上京中学と御池中学の第二教育施設に使われています。その入り口脇の「統合記念碑」には滋野中学校校歌が刻まれていました。ちなみに作曲者は大築邦雄でした。
住んでいた家の形跡などは全くわかりませんでしたが、大規模な戦災を受けていない京都、道の名前、京都御所など、案外変わっていないところも多いのかもしれません。

 
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