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「青の会プログラム」掲載原稿

2005年8月1日 第81回 青の会 「信時潔の夕べ -信時潔没後40年に」 プログラム より

肘掛に置かれた指の記憶から今日まで

信時裕子

 かろうじて覚えているのは、ソファの肘掛に置かれたその人の指が、タララタララとピアノを弾くように動いていたこと。その人は、ピアノを弾いて作曲をする人だった。
故阪田寛夫先生の名著「海道東征」にも書かれているのだが、朝日放送の「海道東征」放送の日も、オープンリールテープを廻して録音しながら聴いていたその人の近くに、私は居たらしい。
その人にまつわる次の記憶は、珍しく七人のいとこたちが一同に会し、大人たちの何か違う様子を察しながら遊んだあの日、昭和四十年八月一日に亡くなったその人の葬儀の日だった。

 子供にピアノを習わせたいと、その人に相談した母は、専門家にはするな、と言われたらしい。ピアノは全然モノにならなかったが、結局は、音楽に関わる世界の片隅に住みだした。卒業論文のテーマを決めるとき、面倒な原書を読まずに卒論が書けそうで、しかも自由に手に取れる資料が山ほどあると思いついて、その人、信時潔の作品目録の試作に取り組んだ。いざ入り込んでみると、信時潔に限らず、日本の洋楽史については、手つかずの資料、テーマはいくらでもあり、「遺跡発掘」にも似たその作業の末には、それなりの達成感を味わうことができた。やがて、そんな音楽資(史)料を扱う専門機関で仕事をするようになっていた。

 信時潔の資料を整理して、何かの形にまとめたいと考えていたものの、仕事を持ち、家族を持つと、なかなか時間はとれずどうにもならない。音楽ジャーナリストの岩野裕一氏から「没後四十年に何かやらないかという話が出ていますが」と持ちかけられたのは、昨年秋。どちらかというと「没後四十年などという数字に意味はない」というのが、信時家流ではあるのだが、世の中的には「きっかけ」は大事だと思い至り、ようやく動き始めた。シンポジウム、著作全集、演奏会等、いくつかの案があった。本人が書き残した文章に「自分の作品が立派に演奏されるのが一番うれしい」とあったが、多くの楽譜は絶版。今の私にできるのはその部分と思えた。以前から信時資料についてなにかとお世話になってきた元・国立音楽大学附属図書館主任司書の松下鈞氏を味方につけて、自選「作品全集」ともいえる春秋社版の出版譜全三冊(初版・昭和二五-三三)の復刻に向けて、話は本格的に進みはじめた。

 畑中良輔先生監修の『日本歌曲全集6 信時潔』(音楽之友社)の序文に「《小倉百人一首》《李太白の歌八首》、陶淵明の《帰去来の辞》、《不盡山を望みて》など、東洋の心を歌った作品も多い。機があらば、こうした未開拓の信時作品も、掘り起こしてみたいと思っている。」とあったのを思い出して、ご連絡申し上げたところ、復刻を応援してくださること、そして、関連企画として、青の会でも考えてみましょうと、思ってもみなかったお申し出をいただいた。突然の電話口で迷うことなく、信時先生のご命日の八月一日に、とおっしゃったのが印象的だった。

 その、信時潔没後四十周年記念出版委員会として準備してきた『独唱曲集』『合唱曲集』『ピアノ曲集』の復刻版が、いよいよこの七月、春秋社より刊行に至った。新保祐司著『信時潔』(構想社)、CD『信時潔ピアノ曲全集/花岡千春』(ベルウッドレコード)、『海ゆかばのすべて』(キングレコード)の刊行、また二年前に故芥川也寸志先生の遺志を継いで再演された「海道東征」を収録した『オーケストラ・ニッポニカ第二集』(ミッテンヴァルト)の再プレスなど、次々と、信時潔に関する作品が世に出ている。まだ忘れられてはいなかった、という手ごたえは、十分だった。

「さて、ここでこれだけ、世に出ましたよ、おじいちゃん。     
                     この国の音楽として、まだ生き続けているようです。」
 
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